こんにちは。
HSP専門コーチ・カウンセラーのemiです。
今回は、人生の折り返しを迎え、生活環境や身体の変化に伴って迷いや不安を感じている大人HSPの方々へ向けて、相談しづらい状況やその背景についてお話ししたいと思います。
本記事では、特に昭和生まれのアラフィフ、アラフォー、アラカン世代以上のHSPを念頭に置いています。
「生きづらい世の中」と感じる大人HSP
「もう日本は終わった?」
「生きづらい世の中だと感じる」
そんな言葉を、思わず呟きたくなることはありませんか?
長年、周囲に馴染むために自分らしさを抑えてきた大人HSPにとって、このような感覚はきっと珍しいことではないでしょう。
職場や家庭において責任を果たしてきた中で、気づけば価値観や環境の急速な変化に取り残されているように感じることが増えてきているのではないでしょうか。
また、人生の折り返しを迎え心や身体が変化していく中で、漠然とした不安が膨らみ、自分の中にある「心の鎧」の存在とその重さに気付くこともあるでしょう。
この「心の鎧」は、一般的にも自分を守るためにあるものですが、傷つきやすい繊細気質を持つ方の場合、とても頑丈で、普段は自分で気づくことのできない深い部分にあるのが特徴です。さらに昭和世代においては幼少期から教え込まれた「恥の文化」の影響を色濃く反映しています。
「恥の文化」が影響しているHSPの「心の鎧」
昭和世代は
「他者に迷惑をかけないこと」
「他者に笑われないこと」
これらを行動の規範として教え込まれました。
これは、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが指摘したように、日本が「恥の文化」に基づいているためであり、自分の行動がどう見られるかを極度に気にするよう教育され、他者の評価を最優先にするものです。
山口周氏は著書『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』で、「自分が所属する組織において他者が自分の行動をどう判断するかを想像し、他者に従うことが賢明である」という考え方が強く根付いていると指摘しています。
このような文化の中で育った繊細で過敏なHSPは、自分らしさを抑え、周囲に合わせるために自分のアンテナを鈍化させ、無意識の中で自分を守る「心の鎧」を纏い続けてきたのです。
コロナ禍と「個の時代」の到来
しかし、コロナ禍以降、急速に変化する多様性の中で「個の時代」を迎え、HSPの五感プラス六感は新たなざわめきを感じ始めたのではないでしょうか。
「私はもっと、自分らしく生きてもいい」
今の日本社会では、個性がないと埋もれてしまう時代になりつつあります。
これまで自分らしさを抑えてきた大人HSPにとっては、「心の鎧」を脱ぎ、自分らしく生きることが可能な時代、むしろ求められる時代が到来したといっても過言ではないでしょう。
相談しづらい昭和世代のHSP
現在、昭和世代のHSPは、心無い指摘に対する抵抗感や、変化を恐れる自分とのジレンマを抱えています。
「安全な環境にいるのが一番いい」
「自分は負け組なのか」
「バカにされたと感じてしまう」
そのような時代の価値観の混在が、今を生きる中で「やるせなさ」を煽る場面も多いでしょう。
それでも「自分さえ我慢すればいい」と耐え続けているのが現状です。
しかし、そうした抑圧された感情が蓄積され、社会的な役割から解放されるに程に「自分は存在する価値があるのか?」と悩み、メンタル不調に繋がることも少なくありません。
限りある時間の「今」を自分らしく生きていますか?
私自身、看護師として多くの患者さんを看取ってきた経験から、「限りある命」の儚さと尊さを痛感してきました。
「人の死」は誰にも予測することはできませんし、旅立つ場所を選ぶことも難しい。
そのような中で、この記事に辿り着いて下さった方にぜひ、問いかけたいことがあります。
「最後の旅立ちが明日だとしたら、やり残したことはないですか?」
「今、自分らしく生きていますか?」
「職場や家庭、枠組のある組織の中で息苦しさを感じてはいませんか?」
時代は随分と進み、文化も大きく変化しています。
そのような中で、大人HSPが「心の鎧」を脱ぎ、自分らしく生きることが可能な時代になってきました。
これまでもそうであったように、自分が諦めない限り、いつの時代でも平等に無限の可能性は広がっています。
ただ大切なのは、環境や他者の意見ではなく、
「自分は変わりたい」
「自分らしく人生を生きたい」
・・・という自分自身のマインドとアクションです!
同世代のHSPの方々に、少しでも勇気を持って行動するきっかけのワンフレーズとなれば幸いです♪
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
HSPの特性が、これからの時代を後押しする可能性につきましては、別の記事で詳しくご紹介していますので、下記のリンクをクリックして読んでみてくださいね。