こんにちは。
HSP専門コーチ・カウンセラーのemiです。
今回はHSPの「感性」に焦点を当て、その特性について記事にしてみました。
HSPの「底知れぬ力」ぜひ、お読みいただけると嬉しいです。
HSPとは生まれつき人一倍敏感な気質を持っている人
「とにかく気になってしまう、それが私…」
人には「味覚」「嗅覚」「聴覚」「触覚」「視覚」という五つの感覚器(以下:五感)が外界からの刺激を受け取るためのセンサーとして備わっています。
HSPはこの五感が特に敏感であるがゆえに、その影響を良くも悪くも増幅して、様々な場面において享受することになります。
HSPとは、Highly Sensitive Person(ハイリーセンシティブパーソン)の略で、「生まれつき人一倍敏感な気質を持っている人」を示し、アメリカの心理学者エレイン・N・アーロン博士が定義づけたことをきっかけにして、注目されるようになった言葉です。
HSPは全人口の15~20%、5人に1人いると言われ、「DOES(ダズ)」と呼ばれる4つの特徴すべて満たす人がHSPと呼ばれます。DOESは以下4つの特徴の頭文字から来ています。
D(Depth of Processing)何事も様々な角度からじっくり深く考える。
O(Overstimulation)様々な外界からの刺激に敏感で反応しやすい。
E(Emotional Reactivity and Empathy)他者に感情移入して反応、共感しやすいために自分も同じような気分になる。
S(Sensing the Subtle)五感の鋭さを持っており、些細なことが気になり、感情などの小さな変化にも気づく。
このような特性から、HSPは五感疲労と共に共感性疲労を生じやすく、ネガティブな思考に傾きやすいと言われていますが、その反面、感性が鋭く美的感覚に優れ、芸術的センスに恵まれていることをご存じでしょうか。
HSPの敏感なアンテナは、底知れぬ芸術性を秘めている
「ちょっと待って! 今、イヤホンを準備するから」
HSPで聴覚過敏のAさんは、リンゴの「シャリシャリ」とした咀嚼音が大の苦手です。
彼女は自分がリンゴを食べられないだけではなく、席の隣の人がリンゴを食べる時でさえ、その音を遮るために必ずイヤホンを付けてガードします。
実は私自身も幼い頃からリンゴを咀嚼する時の触感、音が苦手でしたので、その感覚をAさんと共有できた時の喜びと共鳴する安堵感は相当なものでした。
一般的にリンゴの食べる音が苦手といっても、「リンゴが嫌いなの?」と返されるだけで、(リンゴ自体が嫌いなわけではないので)その微妙なニュアンスを伝えきれず、説明したとしてもこの感覚は多くの人には理解できないものと、これまでの経験上から諦めてたからです。
そして、Aさんは物凄く歌が上手!
後で知ったことですが、なんと若い頃には有名なギターリストとグループを結成し、当時はボーカルとして活躍されていたと言うから驚きです♪
しかし、その当時はまだ自分がHSPだとは知らずに、周囲から聞こえてくる音に疲労することも多く、興味関心は強くてもHSS型「飽きやすい気質」の特性もあってか、歌姫の道を貫くことは出来なかったと言います。
このような事例からも、HSPの特性の一つである聴覚過敏が、絶対音感を有することで、疲労する反面、より正確な音やリズムをつかみ、曲や歌詞から感じ取った情景を自分の気持ちと共振させて相手の心に訴えかける「共感性波動」という、強力な伝播力持つことがうかがえます。
一昔前に、芸能人が続けて自分がHSPであることを公表した時期がありましたが、飛び抜けた感性や敏感なアンテナは底知れぬ芸術性を持ち合わせていることの裏付けとも言えるでしょう。
敏感な「アンテナ」を生かすには、世の中の「評価」に捉われ過ぎない
「幸せ」を感じるのはどのような時ですか?と聞かれて、皆さんはどのような情景を思い浮かべるしょうか。
「美味しいデザートを食べるとき」
「美しい夕暮れの景色を見たとき」
「人から優しく声をかけられたとき」
十人十色、様々な「幸せ」を感じる瞬間があると思いますが、これらは全て「五感刺激」から得た情報に、個々が「幸せ」という意味づけをしていることがわかります。
そうであれば、幸せは、いつも「五感刺激」をフィルターにして、自分の心が「意味づけ」をする!ということです。
同じ夕焼けの空を見ても、藍色のグラデーションをどのように感じるかは個人の感覚、価値観で変化し、そこにどのような意味を持たせるかによって、湧き上がる感情も180度変わることになります。
世の中には、「評価」という言葉がありますが、HSPがこの「他人の物差し」に捉われると本来の「自分らしさ」を見失うことになりかねず、本来なら見出せるはずの「幸せ感度」のセンサーが一気に鈍くなることがあります。
HSPは周囲の人が感じ取ることのできない些細な感覚を拾い上げて、それらにポジティブな意味づけができる思考ルートがあれば、敏感な五感センサーを通して、より多くの「幸せ」を享受することが可能だからです。
例えそれが、どんなに小さなこと、他者から見たら「取るに足らぬ」普通のことであったとしても、自分がそこに「幸せ」を感じるならば、それは「充足感」から「活力」へと変換されます。
しかし、他者の評価を必要以上に気にして、自分の「感度」を押しとどめてしまうのは、本来なら受け取れるはずの「充足感」や「感動」を享受することが出来ずに、「疲労」ばかりが蓄積されて、生きていくための「活力」すら奪われることになりかねません。
HSPの五感センサーは、実は人生そのものに彩りを与える「アンテナ」として、貴重なリソースだといえるのです。
HSPのビジネスシーンで活かせる感性につきましては、別の記事で詳しくご紹介していますので、ぜひチェックしてみてください。
「水」に触れる感覚さえも、HSPにとっては「特別」になる理由
「あ〜幸せ!!」
湯船に入った瞬間に湧き上がるいつもの言葉。
私は、入浴が好きです。
特に温泉は大好き!ですが、正確には「水」のある場所や「水」と戯れることに安心感を覚えるのです。
HSPは元々、「自然」と触れ合うことに心の安らぎを感じる事が多いので、きっと共感される方も多いのではないでしょうか。
ただ、学生時代の「水泳の授業」のように、「~しなければならない」とバイアスがかかってしまうと、一気にその感覚は鈍ってしまいます。
自分のペースで自由にそれら「素材」と触れることができないと本来の感度は委縮して、それまでは好きであった「水」も、中には苦手なものとして、インストールされた方もいらっしゃるかもしれませんね…。
ですが、今回は「自然」の中でも、この「水」にスポットライトを当てて、HSP独自の感性を深く掘り下げてみたいと思います。
普段の生活の中で、「水」は当たり前のように存在しているものではありますが、その性質は、実際に掴むことも、切ることも、条件下に置かなければ留めることもできない不思議な存在です。
また、その形状は個体、液体、気体と役割によって変化しながら循環して、海水から水蒸気、雨に変化することもある一方で命を育み、雨は川へと降り注いで人を支える水道水として使われた後に排出されて、また川から海へと戻る循環を繰り返します。
そのような壮大な「旅」を永遠に繰り返しているであろう「水」は、私たち人間の思考ではとうてい計り知ることができない遥か昔からの地球上の記憶を、その「身」に宿していると思う時、自分たちの存在がいかに小さく、地球の一部に過ぎない…と思うことがあるのです。
そして、蛇口をひねれば出る水は、どんなに寒い日でも、暑い日でも、イヤな事があった日でも、一日の終わりに私の冷えた身体を温めるために集まってくれている。
ここにある「湯」は、遥か気の遠くなる「水の旅」の一部であり、その営みの一部だ思うのです。
「今日も、ありがとう」
身体を温めると同時に「心」までも充たす「水」の恩恵を、全身で受けることができる「感覚」を慈しむ瞬間です。
さらに、「ぴちゃぴちゃ、ぱんぱん」
子どもの頃のように、湯船の水面を手で叩いて、その音に笑顔になる時もしばしばあったりします。
変なアラフィフ…(笑)
でもこのように「水」と戯れる「癒しの時間」を意識することで、私自身は新たなパワーを充電しているという感覚があるから不思議です。
もちろん、HSP気質を持たない人にとっても入浴は「癒し」を得る手段であると思いますが、HSPにとってはその「素材」から何倍もの「エネルギー」を感じ、倍増した「癒し効果」として享受することができるというのが特徴です。
さらに、これら「癒し」を得るために、HSPは必要以上にお金をかけなくても、普段の生活の中で五感センサーを価値ある「アンテナ」として稼働させれば、いつでも、どこでも身近な「素材」から「特別なギフト」を受け取ることが可能だということです。
HSPの敏感なアンテナは、多くの「幸せ」を受け取るセンサーになる
HSPは一般的に「寒さ」や「暑さ」に対しても過敏に反応してしまう性質があると言われていますが、実際にその感覚を研ぎ澄まし、その感覚自体を楽しめる能力も抜きに出て高いことは前述のとおりです。
「今日の風は気持ちがいい」
自分の心に余裕がある時には、外に出て「風」に吹かれる心地よさ、「朝陽」を浴びて感じる解放感、靴底で感じる砂や砂利の感覚刺激など、その一つ一つを肌身で感じ、享受できることはHSPの過敏な感覚ゆえです。
「雪景色がきれい」
雪が降った時、都心は交通が乱れて大混乱になりますが、冷たく黒いアスファルトが一面の白い雪で覆われると私は嬉しくて、ワクワクします。
小さい子ども達が作ったと思われる雪だるまを目にすると、その純粋な心に白い雪が反射したよう「癒し」と「芸術性」を感じます。
ことに、HSP の感性は「季節の移ろい」に敏感です。
春には満開の桜が一週間で散っていく潔さを憂い
梅雨に打たれる紫陽花の声を聴き分け
猛暑の中でも逞しく咲く朝顔の姿に勇気づけられ
色鮮やかな新緑が実りを経て散りゆく姿に「森羅万象」の循環と静寂を感じ取る…
など、その時々の情景に「心」を寄せて、「堪能」することが得意です。
私自身は、このような内側から止めどなく溢れ出る想いを持て余し、時折、自身のInstagramにその時の「心のつぶやき」を載せています。すると、そこに共感してくださる方もいて、日々励まされています。
インスタクラムより・・・
さくら散る時
華やかに
咲き誇る桜の花に
人は希望を重ねて心弾ませ
散りゆく花びら舞うたびに
儚き夢散る
さみしさ味わう
心地よい風
わたしも一緒に
連れて行って
強くても心地よく感じる風に吹かれて、大量の桜の花びらが舞う景色の中で、思い浮かんだポエムです。
いかがでしたでしょうか…🌸
その他にもポエム集をまとめて記事にしていますので、良かったら下記リンクから覗いてみてくださいね
さて、ここからは、HSPがお金をかけなくても様々な「場面」からその「パワー」と「癒し」を得られることは先にも触れましたが、実際に目にすると心を和ませてくれる「あるある花のホッコリシーン」をいくつか挙げてみたいと思います。
- アスファルト舗装の小さな裂け目に「いじらしく咲く」オオイヌノフグリ
- マンフォールの網目から「余裕で」顔を出すタンポポ
- 道端に花びらではなく「そのままの姿」で落ちている、存在感のある椿
- 花びらの巻きと色のグラデーションが「どの角度から観ても」整っている大輪のバラ
- 歩道沿いに切り揃えられた薄ピンク色の花壇から「ひょっこり」と伸びた濃い色のツツジ
- 夕方になっても萎むことなく「今日を惜しむように」咲き続けている朝顔
いくつか思い当たる情景を、楽しんでいただけましたでしょうか…
日常生活の中に散りばめられた「何気ない景色」にこそ、無数の「幸せ」が宿ることに気づけるのもHSPの持ち味です。
そして、このような「小さな幸せ」を感じ取り、積み重ねることが習慣になっていくと、自分は常に「充たされている」という「充足」した心の状態を維持できるようになっていきます。
「今、自分がここに在ることが有り難い」
充たされた自分の内側からあふれ出てくる「感謝」は次なる「有難い」出来事を引き寄せます。
潜在意識の充足感は、更なる「幸せ」な出来事を引き寄せて「ポジティブループ」が発動するからに他なりません。
「幸せ」は「感謝」と「充足感」の循環
「感謝」できるから「充足感」を抱き、「充足感」を得るから「感謝」ができる。
「幸せ」=「充足感」↔「感謝」
これが、HSPの敏感なアンテナが「幸せ感度」を倍増させる理由です。
さあ、今日あなたは何気ない日常の場面中から、いくつの「小さな幸せ」を見つけて、その心地よい感覚に「感謝」できましたか?
HSPの敏感なアンテナが、幸せを受信するリソースとして活かされますように…ꕤ︎︎
最後までお読みいただき、ありがとうございました。